4月10日の日台漁業協定について雑感

※この記事は4月19日現在のものです。今後情勢が変化する可能性があります。

 去る今月10日に、日本と台湾との間で尖閣水域を巡る漁業協定が締結されました。協定の細則はまだ未定なのかもしれませんが、報道を見る限りは日本は台湾側に相当の譲歩をしています。久々の更新で番外めいた話になってしまうのですが、この件はどうしても気になるので雑感を記します。

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日本植民地時代の台湾民族運動指導者、林献堂(中)

他事にかまけて時間があいてしまいました。その割には記事は充実していないのですが・・・。

1920年12月、林献堂は東京で在日台湾人留学生組織「新民会」の代表となります。同時に台湾人の政治運動について従来の同化主義から自治主義へと自らの方向を転換し、日本内地の帝国議会とは別に、明治憲法下で台湾議会を新たに設立する運動を開始しました。これはアイルランドなどを参考にした、一種の「二重帝国」の試みです。

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日本植民地時代の台湾人政商、許丙

本来なら林献堂の続きを書かなければいけないんですが、まだ完全でないのと、たまたま見た『中国時報』(台湾の日刊紙)に「台湾人在満州国」という特集があり、そこである人の名前が出てきたので、そちらを先に出します。

その人の名前は許丙(1891−1963)。主に日本植民地時代の台湾で実業家・政治家として活躍し、短期間ながら貴族院議員の地位にもあった人です。

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日本植民地時代の台湾民族運動指導者、林献堂

はてなダイアリー今週のお題は「ひな祭り」だそうですが、相変わらずここでは無視します(笑)。

本当は2・28に合わせて台湾史の話でも出せたらと思っていましたが、遅れてしまいました。台湾の2・28事件についてはそれこそググれば概要は分かるはずですので、ご存じない方は一度見て下さい。

さて今回は、2・28にも関係する林献堂という人です。近代台湾史を語る上では絶対欠かせない人なんですが、日本じゃあまり著名じゃないかも知れません。個人的には、それこそ日本史の教科書に太字で載ってもおかしくない人だと思うんですが・・・。(これに限らず、日本の植民地史については中等教育での扱いが貧弱この上ないですね。歴史認識問題で扱いが難しいのかもしれませんが。)

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インドから来たコミンテルンの使者 M.N.ロイ(下)

コミンテルンやインド共産主義運動で実績をあげたローイは1927年、コミンテルン代表として、当時国共合作を行っていた中国国民党武漢国民政府に派遣されます。しかしローイが中国に到着した直後に、蒋介石による4.12クーデターが起きて国民政府は武漢と南京に分裂し、国共合作を継続していた武漢の国民政府は窮地に陥いるのです。

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インドから来たコミンテルンの使者 M.N.ロイ

ダイアリーに移ったのはいいのですが、このまま何日も放置するのもなんですので、ネタを一件。(旧ブログには(http://taizonrekireki.hatenablog.jp/)中国初期国会や、民国期広東政権のお話がありますのでもし興味がありましたらどぞ。)

といってもいきなり濃いネタになるんですが、近代の中国史に興味のある方で、「ロイ」という名前にピンとくる人はどれくらいいるんでしょうか。あんまりいないような気もしますが・・・

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